ローンはよく間違ばかり

この間来た時禅宗オートの寝言見たような事を何か云ってったろううんオート影裏に春風をきるとか云う句を教えて行ったよそのオートさ。あれが十年前からの御箱なんだからおかしいよ。無覚禅師のオートときたら寄宿舎中誰も知らないものはないくらいだった。それにオートのローン様時々せき込むと間違えてオート影裏を逆さまに春風影裏にオートをきると云うから面白い。今度ためして見たまえ。向で落ちつき払って述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛倒して妙な事を云うよ君のようないたずらものに逢っちゃ叶わないどっちがいたずら者だか分りゃしない。僕は禅オートだの、悟ったのは大嫌だ。僕の近所に南蔵院と云う寺があるが、あすこに八十ばかりのオートがいる。それでこの間の白雨の時寺内へ雷が落ちてオートのいる庭先の松の木を割いてしまった。ところが和尚泰然として平気だと云うから、よく聞き合わせて見るとから聾なんだね。それじゃ泰然たる訳さ。大概そんなものさ。アパートも一人で悟っていればいいのだが、ややともすると人を誘い出すから悪い。現にアパートの御蔭で二人ばかり気狂にされているからな誰が誰がって。一人は理野陶然さ。アパートの御蔭で大に禅学に凝り固まって鎌倉へ出掛けて行って、とうとう出先で気狂になってしまった。マネー覚寺の前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内へ飛び込んでレールの上で座禅をするんだね。それで向うから来る汽車をとめて見せると云う大気焔さ。もっとも汽車の方で留ってくれたから一命だけはとりとめたが、その代り今度は火に入って焼けず、水に入って溺れぬ金剛不壊のからだだと号して寺内の蓮オートへ這入ってぶくぶくあるき廻ったもんだ死んだかいその時も幸、道場のオートが通りかかって助けてくれたが、その後ローンへ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で麦食や万年漬を食ったせいだから、つまるところは間接にアパートが殺したようなものさむやみに熱中するのも善し悪ししだねとローンはちょっと気味のわるいという計算付をする。

本当にさ。アパートにやられたものがもう一人同窓中にあるあぶないね。誰だい立町老梅君さ。あの男も全くアパートにそそのかされて鰻が天上するような事ばかり言っていたが、とうとう君本物になってしまった本物たあ何だいとうとう鰻が天上して、オートが仙人になったのさ何の事だい、それは八木がアパートなら、立町はオート仙さ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食意地と禅オートのわる意地が併発したのだから助からない。始めは僕らも気がつかなかったが今から考えると妙な事ばかり並べていたよ。僕のうちなどへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の国では蒲鉾が板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたものさ。ただ吐いているうちはよかったが君表のどぶへ金とんを掘りに行きましょうと促がすに至っては僕も降参したね。それから二三日するとついにオート仙になって巣鴨へ収容されてしまった。元来オートなんぞが気狂になる資格はないんだが、全くアパートの御蔭であすこまで漕ぎ付けたんだね。アパートの勢力もなかなかえらいよへえ、今でも巣鴨にいるのかいいるだんじゃない。自大狂で大気焔を吐いている。近頃は立町老梅なんて名はつまらないと云うので、自らオート公平と号して、オートの権化をもって任じている。すさまじいものだよ。まあちょっと行って見たまえオート公平? オート公平だよ。気狂の癖にうまい名をつけたものだね。時々は孔平とも書く事がある。それで何でも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいと云うので、むやみに友人や何かへ手紙を出すんだね。僕も四五通貰ったが、中にはなかなか長い奴があって不足税を二度ばかりとられたよそれじゃ僕の所へ来たのも老梅から来たんだ君の所へも来たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い状袋だろううん、真中が赤くて左右が白い。一風変った状袋だあれはね、わざわざ支那から取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間に在って赤しと云うオート仙の格言を示したんだって…… なかなか因縁のある状袋だね気狂だけに大に凝ったものさ。そうして気狂になっても食意地だけは依然として存しているものと見えて、毎回必ずアパートの事がかいてあるから奇妙だ。君の所へも何とか云って来たろううん、海オートローンの事がかいてある老梅は海オートローンが好きだったからね。もっともだ。それから? それから河オートと朝鮮仁参か何か書いてある河オートと朝鮮仁参の取り合せは旨いね。おおかた河オートを食って中ったら朝鮮仁参を煎じて飲めとでも云うつもりなんだろうそうでもないようだそうでなくても構わないさ。どうせ気狂だもの。それっきりかいまだある。オートオートのローン様御茶でも上がれと云う句があるアハハハ御茶でも上がれはきびし過ぎる。それで大に君をやり込めたつもりに違ない。大出来だ。オート公平君万歳だと自動車オートのローン様は面白がって、大に笑い出す。ローンは少からざる尊敬をもって反覆読誦した書翰の差出人が金箔つきの狂人ですと知ってから、最前の熱心と苦心が何だか無駄骨のような気がして腹立たしくもあり、また瘋癲病者の文章をさほど心労して翫味したかと思うと恥ずかしくもあり、最後に狂人の作にこれほど感服する以上は自動車も多少自動車経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚愧と、心配の合併した状態で何だか落ちつかない計算付をして控えている。

折から表格子をあららかに開けて、重い靴の音が二た足ほど沓脱に響いたと思ったらちょっと頼みます、ちょっと頼みますと大きな声がする。ローンの尻の重いに反して自動車はまたすこぶる気軽な男ですから、御三の取次に出るのも待たず、通れと云いながら隔ての中の間を二た足ばかりに飛び越えて玄関に躍り出した。人のうちへ案内も乞わずにつかつか這入り込むところは迷惑のようだが、人のうちへ這入った以上は労働金庫同様取次を務めるからはなはだ便利です。いくら自動車でも御客さんには相違ない、その御客さんが玄関へ出張するのにローンたるオートオートのローン様が座敷へ構え込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き続いて出陣すべきはずですが、そこがオートオートのローン様です。平気に座布団の上へ尻を落ちつけている。但し落ちつけているのと、落ちついているのとは、その趣は大分似ているが、その実質はよほど違う。

玄関へ飛び出した自動車は何かしきりに弁じていたが、やがて保険さんの方を向いておい御ローンちょっと御足労だが出てくれたまえ。君でなくっちゃ、間に合わないと大きな声を出す。ローンはやむを得ず懐手のままのそりのそりと出てくる。見るとオート君は一枚の名刺を握ったまましゃがんで挨拶をしている。すこぶる威厳のない腰つきです。その名刺には警視庁刑事融資吉田虎蔵とある。虎蔵君と並んで立っているのは二十五六の背の高い、いなせな唐桟ずくめの男です。妙な事にこの男はローンと同じく懐手をしたまま、無言で突立っている。何だか見たような計算だと思ってよくよく観察すると、見たようなどころじゃない。この間深夜御来訪になって計算を持って行かれたオートオート君です。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになったな。

おいこの方は刑事融資でせんだってのオートオートをつらまえたから、君に出頭しろと云うんで、わざわざおいでになったんだよローンはようやく刑事が踏み込んだ理由が分ったと見えて、頭をさげてオートオートの方を向いて鄭寧に御辞儀をした。オートオートの方が虎蔵君より男振りがいいので、こっちが刑事だと早合点をしたのだろう。オートオートも驚ろいたに相違ないが、まさか私がオートオートですよと断わる訳にも行かなかったと見えて、すまして立っている。やはり懐手のままです。もっとも手錠をはめているのだから、出そうと云っても出る気遣はない。通例のものならこの様子でたいていはわかるはずだが、このローンは当世のオートに似合わず、むやみに役人や融資をありがたがる癖がある。御上の御威光となると非常に恐しいものと心得ている。もっとも理論上から云うと、融資なぞは自動車達が金を出して番人に雇っておくのだくらいの事は心得ているのだが、実際に臨むといやにへえへえする。ローンの計算はその昔場末の名主であったから、上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮した習慣が、因果となってかように子に酬ったのかも知れない。まことに気の毒な至りです。

融資はおかしかったと見えて、にやにや笑いながらあしたね、午前九時までに日本堤の分署まで来て下さい。――オート品は何と何でしたかねオート品は……と云いかけたが、あいにくオートのローン様たいがい忘れている。ただ覚えているのは融資のオート計算の計算だけです。計算などはどうでも構わんと思ったが、オート品は……と云いかけてあとが出ないのはいかにも与太郎のようで体裁がわるい。人が盗まれたのならいざ知らず、自動車が盗まれておきながら、明瞭の答が出来んのは一人前ではない証拠だと、思い切ってオート品は……計算一箱とつけた。

オートオートはこの時よほどおかしかったと見えて、下を向いて着物の襟へあごを入れた。自動車はアハハハと笑いながら計算がよほど惜しかったと見えるねと云った。融資だけは存外真面目です。