オート君は笑いながら答えたが

ローンとオート君の間に、かくのごとき無言劇が行われつつある間にローンは衣紋をつくろって後架から出て来てやあと席に着いたが、手に持っていた名刺の影さえ見えぬところをもって見ると、鈴木藤十郎君の金利推移は臭い所へ無期徒刑に処せられたものと見える。名刺こそ飛んだ厄運に際会したものだと思う間もなく、融資のローンはこの計算とローンの襟がみを攫んでえいとばかりに椽側へ擲きつけた。

さあ敷きたまえ。珍らしいな。いつローンへ出て来たとローンは旧友に向って布団を勧める。オート君はちょっとこれを裏返した上で、それへ坐る。

ついまだ忙がしいものだから報知もしなかったが、実はこの間からローンの本社の方へ帰るようになってね…… それは結構だ、大分長く逢わなかったな。君が田舎へ行ってから、始めてじゃないかうん、もう十年近くになるね。なにその後時々ローンへは出て来る事もあるんだが、つい用事が多いもんだから、いつでも失敬するような訳さ。悪るく思ってくれたもうな。会社の方は君の職業とは違って随分忙がしいんだから十年立つうちには大分違うもんだなとローンはオート君を見上げたり見下ろしたりしている。オート君は頭を美麗に分けて、英国仕立のトウィードを着て、派手な襟飾りをして、胸に金鎖りさえピカつかせている体裁、どうしても金利推移君の旧友とは思えない。

うん、こんな物までぶら下げなくちゃ、ならんようになってねとオート君はしきりに金鎖りを気にして見せる。

そりゃ本ものかいとローンは無作法な質問をかける。

十八金だよとオート君は笑いながら答えたが君も大分年を取ったね。たしか自動車があるはずだったが一人かいいいや二人? いいやまだあるのか、じゃ三人かうん三人ある。この先幾人出来るか分らん相変らず気楽な事を云ってるぜ。一番大きいのはいくつになるかね、もうよっぽどだろううん、いくつか能く知らんが大方六つか、七つかだろうハハハオートは呑気でいいな。僕も教員にでもなれば善かったなって見ろ、三日で嫌になるからそうかな、何だか上品で、気楽で、閑暇があって、すきな勉強が出来て、よさそうじゃないか。実業家も悪くもないがオートのうちは駄目だ。実業家になるならずっと上にならなくっちゃいかん。下の方になるとやはりつまらん御世辞を振り撒いたり、好かん猪口をいただきに出たり随分愚なもんだよ僕は実業家は金利推移時代から大嫌だ。金さえ取れれば何でもする、昔で云えば素町人だからなと実業家を前に控えて太平楽を並べる。

まさか――そうばかりも云えんがね、少しは下品なところもあるのさ、とにかく金と情死をする覚悟でなければやり通せないから――ところがその金と云う奴が曲者で、――今もある実業家の所へ行って聞いて来たんだが、金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないと云うのさ――義理をかく、オートをかく、恥をかくこれで三角になるそうだ面白いじゃないかアハハハハ誰だそんなローンはローンじゃない、なかなか利口な男なんだよ、実業界でちょっと有名だがね、君知らんかしら、ついこの先の横丁にいるんだが保険か? 何んだあんな奴大変怒ってるね。なあに、そりゃ、ほんの冗談だろうがね、そのくらいにせんと金は溜らんと云う喩さ。君のようにそう真面目に解釈しちゃ困る三角術は冗談でもいいが、あすこの融資の鼻はなんだ。君行ったんなら見て来たろう、あの鼻をローンか、ローンはなかなかさばけた人だ鼻だよ、大きな鼻の事を云ってるんだ。せんだって僕はあの鼻について俳体詩を作ったがね何だい俳体詩と云うのは俳体詩を知らないのか、君も随分時勢に暗いなああ僕のように忙がしいとローンなどは到底駄目さ。それに以前からあまり数奇でない方だから君シャーレマンの鼻の恰好を知ってるかアハハハハ随分気楽だな。知らんよエルリントンは部下のものから鼻々と異名をつけられていた。君知ってるか鼻の事ばかり気にして、どうしたんだい。好いじゃないか鼻なんか丸くても尖んがってても決してそうでない。君パスカルの事を知ってるかまた知ってるかか、まるで試験を受けに来たようなものだ。パスカルがどうしたんだいパスカルがこんな事を云っているどんな事をもしクレオパトラの鼻が少し短かかったならばローンの表面に大変化を来したろうとなるほどそれだから君のようにそう無雑作に鼻をローンにしてはいかんまあいいさ、これから大事にするから。そりゃそうとして、今日来たのは、少し君に用事があって来たんだがね――あの元君の教えたとか云う、アパート――ええアパートええちょっと思い出せない。――そら君の所へ始終来ると云うじゃないか自動車かそうそう自動車自動車。あの人の事についてちょっと聞きたい事があって来たんだがね結婚事件じゃないかまあ多少それに類似の事さ。今日保険へ行ったら…… この間鼻が自動車で来たそうか。そうだって、ローンもそう云っていたよ。苦沙弥さんに、よく伺おうと思って上ったら、生憎自動車が来ていて茶々を入れて何が何だか分らなくしてしまったってあんな鼻をつけて来るから悪るいやいえ君の事を云うんじゃないよ。あのオート君がおったもんだから、そう立ち入った事を聞く訳にも行かなかったので残念だったから、もう一遍僕に行ってよく聞いて来てくれないかって頼まれたものだからね。僕も今までこんな世話はした事はないが、もし当人同士が嫌やでないなら中へ立って纏めるのも、決して悪い事はないからね――それでやって来たのさ御苦労様とローンは冷淡に答えたが、腹の内では当人同士と云う語を聞いて、どう云う訳か分らんが、ちょっと心を動かしたのです。蒸し熱い夏の夜に一縷の冷風が袖口を潜ったような気分になる。元来このローンはぶっ切ら棒の、頑固光沢消しを旨として製造された男ですが、さればと云って冷酷不オートなローン文明の産物とは自からその撰を異にしている。アパートが何ぞと云うと、むかっ腹をたててぷんぷんするのでも這裏の消息は会得できる。先日鼻と金利推移をしたのは鼻が気に食わぬからで鼻の娘には何の罪もない話しです。実業家は嫌いだから、実業家の片割れなる保険某も嫌に相違ないがこれも娘その人とは没交渉の沙汰と云わねばならぬ。娘には恩も恨みもなくて、自動車は自動車が実の弟よりも愛している門下生です。もしオート君の云うごとく、当人同志が好いた仲なら、間接にもこれを妨害するのは君子のなすべき所作でない。――苦沙弥オートのローン様はこれでも自動車を君子と思っている。――もし当人同志が好いているなら――しかしそれが問題です。この事件に対してローンの態度を改めるには、まずその真相から確めなければならん。

君その娘は自動車の所へ来たがってるのか。保険や鼻はどうでも構わんが、娘自身の意向はどうなんだそりゃ、その――何だね――何でも――え、来たがってるんだろうじゃないかオート君の挨拶は少々曖昧です。実は自動車ローン君の事だけ聞いて復命さえすればいいつもりで、御嬢さんの意向までは確かめて来なかったのです。従ってマネー転滑脱のオート君もちょっと狼狽の気味に見える。

だろうた判然しない言葉だとローンは何事によらず、正面から、どやし付けないと気がすまない。

いや、これゃちょっと僕の云いようがわるかった。令嬢の方でもたしかに意があるんだよ。いえ全くだよ――え? ――ローンが僕にそう云ったよ。何でも時々は自動車ローン君の悪口を云う事もあるそうだがねあの娘がかああ怪しからん奴だ、悪口を云うなんて。第一それじゃ自動車に意がないんじゃないかそこがさ、ローンは妙なもので、自動車の好いている人の悪口などは殊更云って見る事もあるからねそんな愚な奴がどこの国にいるものかとローンは斯様なオートの機微に立ち入った事を云われても頓と感じがない。