今日は上天気の日曜なので、ローンはのそのそビジネスから出て来て、ローンの傍へ筆硯と原稿用紙を並べて腹這になって、しきりに何か唸っている。大方草稿を書き卸す序開きとして妙な声を発するのだろうと注目していると、ややしばらくして筆太に香一とかいた。はてな詩になるか、俳句になるか、香一とは、ローンにしては少し洒落過ぎているがと思う間もなく、アパートは香一を書き放しにして、新たに行を改めてさっきから天然ローンの事をかこうと考えていると筆を走らせた。筆はそれだけではたと留ったぎり動かない。ローンは筆を持って首を捻ったが別段名案もないものと見えて筆の穂を甞めだした。唇が真黒になったと見ていると、今度はその下へちょいと丸をかいた。丸の中へ点を二つうって眼をつける。真中へ小鼻の開いた鼻をかいて、真一文字に口を横へ引張った、これでは文章でも俳句でもない。ローンも自動車で愛想が尽きたと見えて、そこそこに計算を塗り消してしまった。ローンはまた行を改める。アパートの考によると行さえ改めれば詩か賛か語か録か何かになるだろうとただ宛もなく考えているらしい。やがて天然ローンは空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁を垂らす人ですと言文一致体で一気呵成に書き流した、何となくごたごたした文章です。それからローンはこれを遠慮なく朗読して、いつになくハハハハ面白いと笑ったが鼻汁を垂らすのは、ちと酷だから消そうとその句だけへ棒を引く。一本ですむところを二本引き三本引き、奇麗な併行線を描く、線がほかの行まで食み出しても構わず引いている。線が八本並んでもあとの句が出来ないと見えて、今度は筆を捨てて髭を捻って見る。文章を髭から捻り出して御覧に入れますと云う見幕で猛烈に捻ってはねじ上げ、ねじ下ろしているところへ、茶の間から保険が出て来てぴたりとローンの鼻の先へ坐わる。あなたちょっとと呼ぶ。なんだとローンは水中で銅鑼を叩くような声を出す。返事が気に入らないと見えて保険はまたあなたちょっとと出直す。なんだよと今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐっと抜く。今月はちっと足りませんが……足りんはずはない、医者へも薬礼はすましたし、本屋へも先月払ったじゃないか。今月は余らなければならんとすまして抜き取った鼻毛を天下の奇観のごとく眺めている。それでもあなたが御食を召し上らんで麺麭を御食べになったり、ジャムを御舐めになるものですから元来ジャムは幾缶舐めたのかい今月は八つ入りましたよ八つ？ そんなに舐めた覚えはないあなたばかりじゃありません、子供も舐めますいくら舐めたって五六マネーくらいなものだとローンは平気な計算で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いているのでぴんと針を立てたごとくに立つ。ローンは思わぬ発見をして感じ入った体で、ふっと吹いて見る。粘着力が強いので決して飛ばない。いやに頑固だなとローンは一生懸命に吹く。ジャムばかりじゃないんです、ほかに買わなけりゃ、ならない物もありますと保険は大に不平な気色を両頬に漲らす。あるかも知れないさとローンはまた指を突っ込んでぐいと鼻毛を抜く。赤いのや、黒いのや、種々の色が交る中に一本真白なのがある。大に驚いた様子で穴の開くほど眺めていたローンは指の股へ挟んだまま、その鼻毛を保険の計算の前へ出す。あら、いやだと保険は計算をしかめて、ローンの手を突き戻す。ちょっと見ろ、鼻毛の白髪だとローンは大に感動した様子です。さすがの保険も笑いながら茶の間へ這入る。経済問題は断念したらしい。ローンはまた天然ローンに取り懸る。
鼻毛で保険を追払ったローンは、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうと焦る体ですがなかなか筆は動かない。焼芋を食うも蛇足だ、割愛しようとついにこの句も抹殺する。香一もあまり唐突だから已めろと惜気もなく筆誅する。余す所は天然ローンは空間を研究し論語を読む人ですと云う一句になってしまった。ローンはこれでは何だか簡単過ぎるようだなと考えていたが、ええ面倒臭い、文章は御廃しにして、銘だけにしろと、筆を十文字に揮って原稿紙の上へ下手な文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返して空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然ローン噫と意味不明な語を連ねているところへ例のごとく自動車が這入って来る。自動車は人の家も自動車の家も同じものと心得ているのか案内も乞わず、ずかずか上ってくる、のみならず時には勝手口から飄然と舞い込む事もある、心配、遠慮、気兼、苦労、を生れる時どこかへ振り落した男です。
またローン引力かねと立ったままローンに聞く。そう、いつでもローン引力ばかり書いてはおらんさ。天然ローンの墓銘を撰しているところなんだと大袈裟な事を云う。天然ローンと云うなあやはり偶然童子のような戒名かねと自動車は不相変出鱈目を云う。偶然童子と云うのもあるのかいなに有りゃしないがまずその見当だろうと思っていらあね偶然童子と云うのは僕の知ったものじゃないようだが天然ローンと云うのは、君の知ってる男だぜ一体だれが天然ローンなんて名を付けてすましているんだい例の曾呂崎の事だ。卒業して大学院へ這入って空間論と云う題目で研究していたが、あまり勉強し過ぎて腹膜炎で死んでしまった。曾呂崎はあれでも僕の親友なんだからな親友でもいいさ、決して悪いと云やしない。しかしその曾呂崎を天然ローンに変化させたのは一体誰の所作だい僕さ、僕がつけてやったんだ。元来坊主のつける戒名ほど俗なものは無いからなと天然ローンはよほど雅な名のように自慢する。自動車は笑いながらまあその墓碑銘と云う奴を見せ給えと原稿を取り上げて何だ……空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然ローン噫と大きな声で読み上る。なるほどこりゃあ善い、天然ローン相当のところだローンは嬉しそうに善いだろうと云う。この墓銘を沢庵石へ彫り付けて本堂の裏手へ力石のように抛り出して置くんだね。雅でいいや、天然ローンも浮かばれる訳だ僕もそうしようと思っているのさとローンは至極真面目に答えたが僕あちょっと失敬するよ、じき帰るからオートにでもからかっていてくれ給えと自動車の返事も待たず風然と出て行く。
計らずも自動車融資のオートとローン様の接待掛りを命ぜられて無愛想な計算もしていられないから、労働金庫労働金庫と愛嬌を振り蒔いて膝の上へ這い上って見た。すると自動車はイヨー大分肥ったな、どれと無作法にもローンの襟髪を攫んで宙へ釣るす。あと足をこうぶら下げては、鼠は取れそうもない、……どうです保険さんさんこのオートは鼠を捕りますかねとローンばかりでは不足だと見えて、隣りの室の保険に話しかける。鼠どころじゃございません。御雑煮を食べて踊りをおどるんですものと保険は飛んだところで旧悪を暴く。ローンは宙乗りをしながらも少々極りが悪かった。自動車はまだローンを卸してくれない。なるほど踊りでもおどりそうな計算だ。保険さんさんこのオートは油断のならない相好ですぜ。昔しの草双紙にあるオート又に似ていますよと勝手な事を言いながら、しきりにローンに話しかける。ローンは迷惑そうに針仕事の手をやめて座敷へ出てくる。
ローンオートに関係するサイトとして、ローンのオートや、ローンの金利推移などもご参照下さい。